まんじゅうと人情
旅は見知らぬ人との出会いの連続である。しばらく良い出会いがなく、暗く沈んだ気分のまま、今日の宿の確保のためにまんじゅう屋に入るが…。
「間違ってるかも知れないけれど」
旅は見知らぬ人との出会いの連続である。良い出会いもあれば悪い出会いもある。
海援隊の「間違ってるかもしれないけれど」という歌の歌詞に次のような一節がある。
破けた心を繕う糸は やっぱり人の言葉
間違ってるかもしれないけれどそう思うんだ
間違ってるかもしれないけれどそう思うんだ
この日はこのフレーズの意味を心から痛感した忘れられない一日となった。
沈んだ気分の一日
昨晩泊まったのは東舞鶴の旅館。その宿のおばちゃんは、500円値切って安く泊めてもらった私に対して、ことあるごとにその500円の恨みつらみを聞かせてくれた。
数日前からどうも人との良い出会いがなく、いいかげん知らない人と接することに嫌気がさしてきていたところにこの宿の対応である。そして追い打ちをかけるように空は朝から雨模様。暗く沈んだ気分の一日の始まりであった。
今日の予定は29㎞、大江町までである。しかし当日になっても大江町に宿がとれない。野宿をしようかと思うも、やはり寒すぎてちょっと無理である。
そこで仕方なく福知山市の下天津駅まで36㎞を歩き、そこから福知山駅まで私鉄で行って泊まることにしたのだが、29㎞の予定で歩いていた関係上、大江町を過ぎた辺りで日が暮れてきてしまった。
まんじゅうと人情
そこでまず今日の宿を確保しなくてはと思い、公衆電話を探す。しかし、集落の外れまで来てしまっていたので、周りに公衆電話は見あたらない。
仕方なく近くのまんじゅう屋に入り、一番近くの公衆電話のありかを尋ねる。しかしかなり先の方に行かないとないということで、有難いことに店の電話を使わせてくれる。久しぶりに人の好意にあった私はとても嬉しかった。
ご好意にあまえて2本電話をする。1本は今日(福知山)の宿、2本めは明日(竹田)の宿。どちらの宿も人のよさそうな方が出て、「気をつけていらっしゃい」とか「どうぞよろしく。おまちしております」などという言葉をかけてくれた。
さらに、まんじゅう屋の方は「細かいのがない」と言った私に「じゃあ別にいいですよ」と言ってくれた。私は先ほど買ったまんじゅうとジュースを握りしめ、人情の有難さをひしひしと実感しながら何ども御礼を言い、店を出た。
冒頭の「間違ってるかもしれないけれど」の一節を口ずさみながら人情の有難味に思わず涙ぐんでしまった私は、日の暮れきった国道175号線を再び歩き始めたのであった。