佐多岬へ
とりあえずゴールとして目指していた本州最南端佐多岬。悪名高い佐多岬ロードパークを裏からパスして本日到着。沖縄へと挑戦は続く。(やや長文)
本線100日め
いよいよ最終日である。昨日、いつも楽しみに間いている午後のラジオ番組「ヒルサイドアベニユー」の中で、私が出したハガキを読んでもらい、リクエスト曲「誰もいないからそこを歩く」(海援隊)をかけてもらったこともあり、非常に良い気分で迎えることができた最終日の朝であった。
もちろんこの後、沖縄に渡りさらに歩く計画は立てていたが、この時点ではそれはあくまでオマケとしか考えていなかった。
今日の予定はわずか6㎞。昨日のうちに歩いても良かったのだが、佐多岬でゆっくりしたかったのと、ハガキをたくさん書きたかったこと、そして今日が北海道宗谷岬を出発してから本線コースを歩いた日だけを通算するとちょうど100日めにあたるという理由から一日伸ばして本日をゴール日にした訳だ。
昨晩、今晩と宿泊はともに国民宿舎佐多岬荘。自転車や歩きで日本縦断をする旅人たちの多くが使用している宿である。
同じ宿に連泊するなら荷物は置いていってもよいと思うのは素人考え(?)。チャリダー(自転車旅行者)が自転車を旅の道連れとして大事に思うのと同様に、私はくつとザックを旅の友として大事に思ってきた。したがって私はザックにはいつでも全ての荷物を積めた上で背に背負って歩くことにこだわりをもってきたので、今回も連泊とはいえ全ての荷物をザックに積めて宿を出たのであった。
佐多岬ロードパーク
ここ佐多岬には、チャリダーや歩き旅の旅人の間では悪名高い「佐多岬ロードパーク」がある。なぜそんなに悪名高いかといえば、佐多岬に通じる道路はこれ一本しかないのだが、その道を通れるのは自動車やバイクのみで自転車と歩行者は通ることができないとされているからだ。
これは高速道路でもないのに全くふざけた話で、たとえ宗谷岬から日本を縦断してきたといっても絶対に通さないそうだ。たぶん世界一周をしてきて佐多岬がゴールだといっても無理だろうと思われる。
実際、毎年何人ものチャリダーや歩き旅の旅人が、このロードパークのゲートで係員とすったもんだした挙げ句、どうしても通ることのできないこの「関門」を前に、ある者は失望し、ある者は怒り心頭に発し、あきらめて帰るかこだわりを捨ててバスに乗るか、午前7時前や午後5時以降のゲートに人のいない時間を見計らってこそこそと通るかという選択を余儀なくされているという。
今ではこのロードパークを歩行者や自転車が通れるようにするために暑名活動まで行われている始末である。それでもいつぞやの夏に話題となった小学生の自転車少年などは特別に通したりしていることもあったりして、私はこのロードパークの行政とゲートの係員の対応には以前からたいへん頭にきていた。
私は正義感が強く、正しくないと思うことに対しては結構とことん刃向かう方なのだが、このロードパークに関しては今までゲートの係員に正面切って「通してほしい」と言った人で無事通れた人は皆無であるという情報を得ていたので、今回はおとなしく裏道から抜けて行くことに決めていた。この裏道の情報も歩いて日本縦断をした先人の方の本からその存在を知っていたものである。
到着
国民宿舎で佐多岬へ歩いていく方法をきいてからスタート。国民宿舎のフロントの方は「本当は歩いちゃいけないんですけどね」と前置きをしながらも、しっかり裏道の行き方を教えてくれた。
この抜け道は本当に「抜け道」という言葉がピッタリの道で、人の家の石段を途中まで上ってからちょっとした崖(傾斜のきつい登り)をよじのぼってロードパークに出るという道であった。しかしこの道を通ったおかげでゲートを2つともパスすることができたのだった。
しばらくロードパークを歩くと突然左手に佐多岬の灯台が見える。ひたすら南を目指してきた何人のチャリダーや歩き旅の旅人たちが、ここで「ああ見えた!」と思ったことだろうか。しばらくボーッと灯台を眺めつつ最後の休憩。
それから遊歩道を経由して佐多岬へ。写真で見てゴールに決めていた「佐多岬」の看板のある岬は、階段をいくつか上ったところでふと現れる。これも大学時代のくせで何かにタッチしてゴールするという方法をとっている私は、その看板にタッチしてゴールとした。時に10時34分であった。
到着時の感想は「ああ着いたな。やればできるものだな」という意外とあっけないものだった。国民宿舎へ戻ってハガキなども書き終えた夕食後、久しぶりにビールをたくさん飲んだ。とりあえずゴールをし、目標を一つ達成した夜に飲むビールはことのほか美味しく感じたのであった。